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タリウムとは?
タリウムは原子番号81の金属元素です。その名前はギリシャ語で「緑の小枝」を意味する「Thallos」に由来します。緑の小枝という名前は炎色反応の色に由来していて、下図の赤枠で囲ったような色が出るようです。
1861年にウィリアム・クルックスが硫酸工業プラントから得られた粉塵を燃やすことで偶然発見された有毒な重金属です。
タリウム化合物は無味無臭のため対象に気づかれることなく服用させることが出来ます。そのため、ヒ素と同じく毒薬として有名です。また、少量を何度も投与することで毒性を蓄積させ、潜伏期間を発生させることが出来るため、犯人に痕跡を消す時間を与えてしまうという特徴があります。そのため、一部ではヒ素と同じように「相続の薬」だとか言われているようです。
殺鼠剤としての活躍
1920年にドイツで初めて用いられて以来、広く用いられてきた殺鼠剤でした。タリウムの無味無臭という性質が殺鼠剤にはちょうど良かったらしく、非常に強力な殺鼠剤として活躍したようです。
過去には有力な殺鼠剤として用いられていたこともありますが、急性毒性が強く、神経系への後遺症を生じる可能性が高い毒物であるため、殺鼠剤としての登録は2015年に消失しています。それ以来誤用による中毒はほとんどなくなりました。以前はその急性毒性の強さを利用して自殺目的で服用されることがありましたが、現在ではより安全なクマリン系の殺鼠剤に切り替えられています。
クマリン系殺鼠剤の解説はこちら↓
医薬品としての活躍
過去には淋病、梅毒、結核の治療薬として用いられていたり、少量内服することで2~3週間程度で脱毛を起こす性質を持っていたので、脱毛剤として用いられてきたこともあります。しかし、薬として用いる量と中毒量との間が狭かったため、 次第に薬としては用いられなくなっていきました。
しかし、現代医療で全く用いられていないというわけではなく、タリウムの放射性同位体である「Tl201」は心筋血流シンチグラフィーという検査に使用されています。
沖縄のとある地域での中毒事件
1976年、沖縄のとある地域で4歳の子どもが脳炎症状で入院しました。それから12日後、ひどい脱毛症状が発現しましたが、その時点では原因ははっきりしていませんでした。その1か月後、同様の症状で3歳の子どもが入院しました。その子どもたちはなんとどちらも同地域、さらに住まいが隣同士ということが明らかになりました。それから、最初に入院した子の兄も同様の症状で入院し亡くなっていたことも明らかになりました。
それから、子どもたちには「何かしらの共通の原因」があってこれらの症状が発現しているのではないかと調査がなされました。その調査の結果、3歳から5歳の子どもたち6人に同様の症状が発生していたこと、彼らの行動範囲がその直径100m圏内であったことが判明しました。よって、この近辺で何か異常が起こっていることが疑われました。
その後、患者の尿からは「タリウム」が検出され、これらの症状がタリウム中毒によるものであることが発覚しました。
それから、「患者たちの自宅の近くの鳥小屋にネズミ対策として仕掛けられた硫酸タリウムがしみ込んだ食パンを誤って食べてしまったために発生した事故」と判明しています。
グレアム・ヤングの事件
タリウムを使った事件で有名なものとしては、イギリス最強の毒殺魔「グレアム・ヤング」の起こした事件が挙げられます。
彼はずば抜けた化学知識を持っていて、「毒物が人体にどういう影響を与えるのか」について強い興味を持ってました。彼は12歳の頃から興味本位で毒物に手を出し、最初に自分のペットを、それから両親、家族、親友に毒物を盛り、どういう症状が起こるのかを観察していたようです。
彼が14歳の頃、彼と仲の悪かった継母が原因不明の死を遂げ、彼の家族も原因不明の症状に悩まされていました。そんな状況に叔母は「毒物に対して豊富な知識を持っているヤングが何かしているのではないか?」と疑い、精神科医に彼を診察してもらうことにしました。そこで精神科医は彼の知識に驚き、絶賛して彼を家に帰した後、すぐに警察に通報し、彼の家が捜査されました。
彼の家からはアンチモンやタリウムといった毒物が数多く発見され、彼は逮捕されました。その後行われた裁判で、彼は父や姉、友人に対する殺人未遂として15年の刑が下り、精神疾患を抱えた人が収監される病院へ収監されることが決定されました。そこで模範囚として9年を過ごした後、釈放されました。その間も彼の中の毒物への執着は消えることはなく、収監中には図書館に通いつめ毒物に関する知識を蓄えていったようです。
釈放されたヤングは写真工場へと就職しましたが、その目的は「毒物が手に入るから」でした。それからヤングは工場の同僚に次々に毒を盛っていきました。原因不明の体調不良者が続出したため工場は医師に調査を依頼しました。調査を依頼された医師は様々な調査を行いましたが、なかなか原因ははっきりしませんでした。
そんな時、医師がたまたまヤングと話をし、彼が毒物について非常に詳しい知識を持っていたことを知りました。そんな彼を怪しんだ医師は、警察に彼の犯罪歴を照会すると、なんと彼には毒物を使った殺人未遂の前科があることが発覚しました。
それからまた警察によってヤングの家宅捜索が行われ、そこから様々な毒物が発見されたこと、同僚を実験台にして症状が記載されたノートなどが押収されたことで、一連の事件がヤングの仕業であったことが明らかになりました。
それによって行われた裁判によってヤングは終身刑を言い渡されました。その後、獄中で42歳で心臓発作によって死亡しています。
タリウムのLD50
LD50については過去記事を見てください。
簡単に解説すると、「少なければ少ないほど急性毒性が強い」と思っていただければ大丈夫です。
タリウム単体はすぐに空気中で酸化されてしまうため、今回は殺鼠剤として使用されていた「硫酸タリウム」のLD50についてみていきます。
ヒトの致死量は硫酸タリウムとして約1g程度、体重あたり4~40mg/kg・体重であると考えられています。
中毒症状
タリウム中毒で特徴的なのは、消化器症状、神経症状、脱毛と続けて症状が現れることです。
摂取後12~24時間程度で症状が発現し、全身の組織に広く影響するために幅広く多彩な症状が発現します。初期症状は吐き気、嘔吐、下痢などの消化器症状が現れます。それが収まると一旦症状は落ち着き、無症状の期間が数日程度続きます。それから数日程度経過して末梢神経の痛覚神経障害、運動神経障害、脳神経麻痺、呼吸不全が起こります。脱毛は曝露から2~4週間程度後に見られます。
急性中毒は非常に致死率が高く、大抵は服用後1週間程度で死亡します。その死因の多くは呼吸筋の麻痺や循環不全であると言われています。
タリウムの体内動態
タリウムは経口摂取後速やかに口腔粘膜や消化管から吸収されます。また、皮膚表面からも吸収されるということが分かっています。吸収後全身循環に移行し、特に頭髪、腎臓、心臓に高濃度で分布します。尿中に体内の3%程度が排泄され、便中にも排泄されますが腸肝循環があるため体内から抜けるのには時間がかかります。
作用機序
ただし、正確な機序については判明していない部分もあるので考えられている機序について解説します。
カリウムとの類似性
簡単に言うと、タリウムはカリウムと競合して毒性を発揮しています。
カリウムとイオン半径が近いため、実は体はタリウムイオンとカリウムイオンの区別がつきません。そのため、細胞膜に存在する「Na/K-ATPase」を通して細胞内にタリウムイオンが取りこまれます。
Na/K-ATPaseとは細胞膜に存在する酵素で、細胞内のNa+を細胞外に排出し、K+を細胞内に取り込む働きを持っています。
Na/K-ATPaseにはTl+はK+の区別がつかない上に、Tl+の方がK+の10倍の親和性を持っているため、Tl+はNa/K-ATPaseを利用して細胞膜を容易に通過し、細胞内に移動します。
エネルギー産生系への影響
タリウムは具体的に標的が特定されているわけではありませんが、ビタミンB2であるリボフラビンと結合し、不溶性の化合物を形成してしまうと言われています。
リボフラビンは体内で様々な反応を受け、リボフラビンから以下のような物質が合成されています。これらの物質は体内の様々な部分で活躍していますが、今回は電子伝達系での活躍に注目していきます。
電子伝達系は、細胞のエネルギー産生経路のうちの一つです。上図は電子伝達系の簡単な模式図です。電子が移動させつつ、膜の内側と外側に水素イオンの濃度勾配を作り、その濃度勾配によって生まれるH+の流れを利用してATP合成酵素がATPを合成します。
そんな電子伝達系ですが、実は、ここにリボフラビン由来の「FAD」が存在しています。
タリウムはリボフラビンと結合し、不溶性の塩を形成すると言われています。その結果、リボフラビン由来のFADが枯渇します。その結果、電子伝達系で活躍しているFADまでなくなるので、電子伝達系のATPを作る能力が損なわれるというわけです。
スルフヒドリル基との親和性
タリウムは硫黄原子との親和性が高く、硫黄を含むアミノ酸である「システイン」の機能を傷害します。様々なタンパク質にシステインは含まれていますが、これらの合成が阻害されます。
特に、システインが多く含まれている爪と毛髪に障害が出やすいため、脱毛や爪の症状が発現します。
今回はここで以上です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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