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フッ化水素とは?
フッ化水素はフッ素と水素が結合した化合物で、常温常圧で無色の強い刺激臭がある気体です。フッ化水素は毒物及び劇物取締法で「毒物」に指定されています。ちなみに、これが水に溶けるとフッ化水素酸となります。
フッ素と水素間の結合は、フッ化水素はフッ素イオンの電気陰性度が高いため塩酸の1000分の1程度しか解離しません。したがって、弱酸です。しかし、その腐食性は強烈で、硫酸や硝酸よりも強い腐食性を持っています。なんとケイ酸化合物であるガラスすら腐食するため、保管の場合はポリプロピレンなど腐食されない容器が用いられます。
フッ化物とは?
フッ素化合物のことをフッ化物と呼びます。フッ素は最も小さいハロゲン化合物で、反応性が非常に高いことが知られています。反応性が非常に高いため、ほとんどの元素を酸化し、フッ化物を形成します。代表的なフッ化物として、フッ化水素、フッ化ナトリウム、フッ化カルシウムなどが挙げられます。フッ化物は加熱すると「フッ化水素」が発生することが多いため非常に危険です。
身近なフッ化物としては、歯磨き粉に虫歯予防の目的でフッ化物である「フッ化ナトリウム」が配合されています。一般的にフッ化物は毒というイメージを持たれているかもしれませんが、歯磨き粉のフッ素濃度は制限されているため、一般的な使用量であれば毒性を気にする必要は特にありません。歯磨き粉に含まれるフッ素は歯のエナメル質に取り込まれることで酸に溶けにくくする、細菌の活動を抑えることで酸による溶解や歯垢の形成を抑制する目的で配合されています。歯関係では他にも虫歯の予防剤や知覚鈍麻剤等医薬品としても使用されています。
他には、フッ素化合物の製造原料であったり、ステンレスの製造、ろ紙の脱珪、ガラスの表面処理、半導体の製造等広く用いられています。金属との反応性を生かして、木材や衣類の金属シミの除去剤として使用されている場合もあります。このようにフッ素化合物は幅広い用途あり、我々の生活には欠かせないものとなっています。
八王子市歯科医師フッ化水素酸誤塗布事故
このパートではフッ化水素が関わった事件について一つお話しします。事故の経緯は以下の通りです。
歯科医院では虫歯の予防に一般的に「フッ化ナトリウム」という物質が使われています。これの在庫が減ってきたので、歯科医師は助手にフッ化ナトリウムを注文するように指示しました。それで助手は注文用紙に「フッ素」と記載し注文しました。
どうやら歯科業界で「フッ素」というと「フッ化ナトリウム」を示すためこのようなことが起こったようです。ここは私の推測ですが、歯科医師が「フッ素」と指示を出して、それを化学に詳しくない助手がそのまま記載したのではないかと思います。
そんな感じで「フッ素」を注文したわけですが、注文を受けた薬品取扱業者にとって「フッ素」とは「フッ化水素酸」のことでした。つまり、ここで取り違えが発生したということになります。さらに、義歯の作成でフッ化水素酸を使用することがあるため、発注自体には疑問を持たれなかったようです。
それで、業者はフッ化水素酸を納品したわけですが、フッ化水素酸は毒物なので、フッ化ナトリウムと違って「受領証」が必要となります。しかし、この変化も見逃されそのままフッ化水素酸は薬品棚に収納されてしまいます。
それからしばらく後にフッ化ナトリウムが切れて新しい瓶を開封するタイミングが来ました。ここで、歯科医師は瓶のサイズやラベルがいつもと違うことに気づきました。しかし、ここでもその違和感は見過ごされてしまいます。歯科医師は新しく取引した業者からの納品だったため、違うメーカーのフッ化ナトリウムが届いて、それで見た目が違うのだろうと判断してしまったのです。そして、中身を普段フッ化ナトリウムを保管されている瓶に移し替えてしまいました。
その後来院した女児に、虫歯予防のためにフッ化ナトリウムを塗布しようとしたところ、誤ってフッ化水素酸が塗布され、女児は死亡してしまいました。
フッ化水素の毒性
フッ化水素のLD50は気体であるためLD50は測定できません。フッ化水素のヒトにおける致死量は経口摂取で1.5g、または20mg/kg・体重と言われています。
皮膚や粘膜に対する局所刺激作用が強く、各種電解質濃度を急激に変動させる作用を持ちます。致死的な不整脈を発生させることがあり非常に危険です。
フッ化水素酸の作用機序
大きく分けてフッ化水素酸の作用機序は二つに分けることが出来ます。それぞれについて解説していきます。
弱酸としての作用
簡単に説明すると、「皮膚や粘膜に存在しているタンパク質の構造を破壊することで皮膚や粘膜が傷害される」というものです。
皆さんご存じの通り、タンパク質は体内の機能の維持に必須の存在です。そして、そのタンパク質はアミノ酸が多数結合することで成り立っています。そして、タンパク質の機能はそれが正しい構造を取ることで初めて発揮することが出来ます。
この「正しい構造」は、タンパク質の構成要素であるアミノ酸同士が特定の水素結合を形成していることで維持されているのですが、酸はその水素結合を形成している部分の構造を変化させてしまいます。それによって水素結合は維持できず、崩壊してしまいます。水素結合が崩壊すると、タンパク質は自身の正しい構造を維持できなくなるので、タンパク質としての機能を喪失します。その結果体の機能が傷害されてしまうわけです。
そのため、酸は人体に対して毒として機能することになります。
フッ素イオンを徐々に放出
フッ化水素酸の体内動態については不明な部分が多いため、詳しくは解説することが出来ません。そのため、今回はすでに何らかの理由で体内にフッ化水素酸が侵入した状態として解説します。
一応現在わかっている範囲でお話しすると、吸入によって肺から、皮膚や粘膜に接触することでそこから吸収される、と考えられています。経口摂取での中毒発生は珍しく、作業現場で皮膚に接触してしまった、フッ化水素酸のフュームを吸入してしまったという中毒事故が多い傾向にあります。
フッ化水素は局所的に暴露されたとしても速やかに組織に浸透していきます。特に、損傷した血管を経由してフッ化水素が体内循環に移行すると体中にフッ化水素が移動してしまいます。そして、細胞膜を容易に通過し、細胞内で徐々にフッ素イオンを放出していきます。
そして、このフッ素イオンが以下に示す二つの大きな問題を引き起こします。
電解質濃度の変動
フッ化イオンは細胞内に存在するCa2+、Mg2+と結合し、それぞれ不溶性のCaF2、MgF2に変化します。これらの結晶が発生した結果、体内ではイオンの状態で存在するCa2+、Mg2+が減少します。それによって、正しい濃度で保たれなければならない電解質濃度が崩れてしまいます。
電解質は体の様々な筋肉の動きや神経の正常な機能の維持に関わっていますが、これらがすべて障害されることになります。特にCa2+が低下することで致死的な不整脈が発生することがあり、これによる死亡が多い傾向にあります。
他にも、Ca依存性Na-K adenosine triphosphatase(Na-K ATPase)阻害作用により細胞のKチャネルを開放し、細胞に蓄えられていたK+が放出された結果高K血症を引き起こし、その結果、神経細胞の脱分極が生じるため激しい疼痛をもたらします。
結晶による組織の障害
特に体循環に移行した場合に問題になります。
体のいたるところにCa2+、Mg2+が存在しているわけですが、これらがフッ素イオンと結合すると結晶が発生します。これらが組織に結晶として沈殿します。結晶として存在するこれらは異物であり、細胞の活動の妨げになります。
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