1955年に発生した粉ミルクにヒ素が混入していた事件です。
1955年の6月から8月にかけて、ミルクを飲んだ乳児に原因不明の発熱、下痢、皮疹などが続出しました。当初は原因不明の奇病と考えられていたようでしたが、この原因が、粉ミルクにヒ素が混入していたことでした。
ヒ素は、乳質安定剤として配合されていた第二リン酸ソーダに不純物として混入しており、粉ミルク中のヒ素濃度は急性・慢性中毒を引き起こすレベルとなっていたようです。
製造工場では1950年から第二リン酸ソーダを試験的に使用されていましたが、1953年以降本格的に使用し始めました。その際に、第二リン酸ソーダの品質を試薬第一級から工業用品に変更してしまったのです。
工業用の第二リン酸ソーダにはごく微量のヒ素が混入(0.005%程度)していましたが、中毒が発生するような濃度ではなかったため特に問題は起こっていませんでした。
しかし、1955年4月に納入された工業用の第二リン酸ソーダは粗悪品では、なんとヒ素の含有量が4~6%というとんでもない濃度で混入していたのです。
なぜこんなものが納入されたのかですが、これはボーキサイトからアルミナを精錬するときに発生したヒ素含有廃棄物であったからだとされています。本来は廃棄されるはずの物質が、工業用第二リン酸ソーダと不正に表示されていたわけです。これに気づかずに、品質を検査することなくそのまま粉ミルク製造に使用してしまったためこの事件が発生してしまったのです。
西日本各地で1万人以上の乳児が被害者となり、そのうちの130人が死亡しています。また、多くの方が発達障害、身体障害など支援を必要とする状態にあります。
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