世界中で愛される毒物の王「ヒ素」

解説

ヒ素とは?

ヒ素は原子番号33番の自然界に広く存在する元素で、自然界では主に「無機ヒ素」として存在しています。地殻中に分布しており自然現象によって放出されるため、農地や水中など広く分布しています。そのため、実は知らず知らずのうちに微量ではありますが、毎日摂取しています。

ヒ素は毒性が高く、微量でも長期間摂取し続けると代謝や神経疾患、発がんなど健康へ影響することが知られています。しかし、一方で生命維持に必要な「超微量元素」であるとも考えられているようです。

現在、東南アジアをはじめ、世界各地でヒ素によって汚染された地下水を慢性的に摂取したことによる健康被害が発生し、問題となっています。

ヒ素は形態によって大きく毒性が異なることが知られていて、炭素を含むヒ素化合物を「有機ヒ素」、含まないものは「無機ヒ素」と分類されています。 有機ヒ素は無機ヒ素に比べて健康への影響が小さいとされていますが、現在その影響の大きさはよくわかっていません。

一方無機ヒ素は、国際がん研究機関によって「ヒトに対して発がん性がある」と評価されています。一般的に、毒性の強さは「無機ヒ素(3価)>無機ヒ素(5価)」と言われており、その3価のヒ素化合物の中でも、「ヒ化水素(アルシン)」が最強の毒性を持っています。

今回は毒物解説ということで、毒性の強い「無機ヒ素」に注目して解説していきたいと思います。

人類とヒ素の関わり

毒物としての側面

無機ヒ素化合物は無味無臭、白砂糖に似ているため、様々な犯罪に利用されてきたとされています。現在は「マシューテスト」という検査法で簡単に検出されてしまうようで、「愚者の毒物」と呼ばれることもあるようです。

昔から毒殺するならヒ素というくらいには有名な物質だったようで、「毒物の王」「王様殺し」「愚者の毒」、遺産相続を早めるために親族を殺す「相続の粉薬」など様々な異名がついていたようです。

実際、中世ヨーロッパで使用された毒はヒ素であったことが多かったようです。あのナポレオンの頭髪から高濃度のヒ素が検出されたため、毒殺された説があるとかないとか言われているらしいですが、真偽は不明です。
医薬品としての側面

ヒポクラテスなどのギリシャの医師が皮膚病に使用して以来、様々な疾患の治療薬として用いられてきました。

18世紀には、イギリスのトーマス・ファーラーが開発した三酸化ヒ素を含有する「ファーラー液」が喘息や皮膚疾患、口内炎などの治療薬として20世紀初期頃まで経験的に用いられていたようです。

日本でもファーラー液は過去に日本薬局方に収載されていて、貧血、白血病、慢性リウマチ、皮膚病などに適応があったようです。そして、抗がん剤や放射線治療が開発されるまでは主要な白血病の治療薬として用いられていました。
現在でも、一部の急性白血病で使用される場合があります。

日本で起こったヒ素の関係する大きな事件としては、ヒ素ミルク事件和歌山ヒ素カレー事件が存在しています。

どちらもこの記事内で紹介するには少々長いので、別記事で解説しています。

ヒ素ミルク事件↓

和歌山県ヒ素カレー事件↓

石見銀山ネズミ捕り

石見銀山からはヒ素を含んだ硫非鉄鋼が大量に採掘され、その精錬過程で生まれた副産物が亜ヒ酸です。それを石見銀山で生まれたネズミ捕りであったため、そのように呼んだようです。
化学兵器

旧日本陸軍では三酸化ヒ素を利用して、マスタードなどのヒ素を含む化学兵器を生産していたという話があります。
産業

三酸化ヒ素は殺鼠剤、殺虫剤、除草剤、ガラス、セラミック等幅広く利用されてきました。現在はその大部分が液晶基板ガラスの製造に利用されていると言われています。

ここで挙げた以外にも非常に多くの用途があり、案外目に見えないところで我々の生活の役に立っているようです。

ヒ素の毒性

ヒ素化合物はかなりの種類が多く存在するので、
今回は、最も毒物としての使用経験が豊富そうな「三酸化ヒ素」のLD50についてみていきます。

LD50については別記事を参考にしてください。↓

https://www.yukkurikm.site/220424-2
三酸化ヒ素
ラット(経口)188mg/kg

神経毒ほどではありませんが、それなりに急性毒性の強い物質であるということが分かります。

 一般的にヒ素の成人に対する中毒量は5~50mg致死量は100~300mgと言われているようです。

中毒症状

少量の無機ヒ素化合物(5mg未満)

嘔吐や下痢が発生しますが、12時間以内に回復するようです。
大量の無機ヒ素化合物

悪心・嘔吐や血が混じったとぎ汁様下痢、腹痛等が発生します。他には、急性の精神病症状、けいれん、皮膚症状が出る場合や、体液の喪失によって循環不全を起こすこともあります。その後、肺水腫や肝機能障害、急性腎不全、白血球減少など幅広い症状が発生します。

最も多くみられるのは摂取から2~8週程度で発生する末梢神経炎で、しびれや感覚異常、痛みが発生します。なんと2年間も持続した例もあるようです。
ヒ素中毒の死因

死因の多くは体液の喪失に由来する循環不全であると言われています。
服用量によって死亡時間はまちまちで、24時間から4日で死に至るとされています。

無機ヒ素の作用機序

作用機序

代謝の過程で発生する「メチル亜ヒ酸」がタンパク質に含まれるチオール基と結合し、機能を傷害する。

無機ヒ素の動態

まずは、ヒ素の動態(ADME)についてみていきます。

吸収

無機ヒ素化合物は3価も5価も小腸から吸収を受けています。
吸収を受けた後、赤血球のグロビン部分と結合し、全身を回ることになります。
分布

吸収されてから24時間以内に全身に移動した無機ヒ素化合物は肝臓や腎臓、脾臓、肺などに広く分布します。また、2~4週間以内にケラチンのチオール基と結合し、皮膚や爪などに分布するようになります。骨では4週間以内にリン酸と置換される形で骨に取り込まれます。
代謝

無機ヒ素化合物は肝臓でメチル化を受けて排泄されるとされていますが、その詳細は明らかになっていません。
排泄

一部は代謝されることなくそのまま尿中に排泄されますが、50%は代謝を受けて尿中に排泄されます。このうち、7割近くが「ジメチルアルシン酸」として排泄されています。

他には便中や、汗、乳汁として排泄されています。

ヒ素の代謝経路

ヒ素の代謝経路は解明されているわけではないのでここでは、代謝モデル(Hayakawaモデル)を一つ解説します。

無機ヒ素は、まずグルタチオンと結合しグルタチオン複合体になります。それからメチル化酵素である「CYT19」によってメチル化されます。ここからメチル化の数によって代謝経路が多少変わります。

メチル化が1つの場合

グルタチオンが遊離し、「メチル亜ヒ酸」となり、最終的にそれが「メチルアルソン酸」となり尿中に排泄されます。ヒ素の毒性はここで発生した「メチル亜ヒ酸」が原因となります。
メチル化が2つの場合

グルタチオンが遊離し「ジメチル亜ヒ酸」となり、最終的にそれが「ジメチルアルシン酸」となり尿中に排泄されます。

メチル亜ヒ酸はどうやって毒性を発揮する?

メチル亜ヒ酸は特にチオール基への親和性が高く多くの酵素に存在するチオール基と結合します。その結果、タンパク質の機能を喪失させてしまいます。

特に、細胞の生存に必須のエネルギー産生に関わる酵素や、DNAの複製、修復に関わる酵素を阻害することが大きな問題となります。 

https://www.nutri.co.jp/nutrition/keywords/ch2-2/keyword2/より引用

上図は細胞の活動に必須のエネルギーを生産するための反応系の一部を示したものです。
細胞エネルギー産生系を阻害すると、細胞の生存に必要なエネルギー産生が行えなくなるため、細胞死に至ります。

細胞が活動するためのエネルギーを産生している「TCA回路」があります。

ヒ素は、この反応系に関わる酵素のうち、「ピルビン酸デヒドロゲナーゼ」を阻害すると言われています。その結果、細胞がエネルギーを上手く産生できなくなるため、最終的にアポトーシスをしてしまうと考えられています。

また、ヒ素は「ビタミンB1欠乏症」に近い症状を引き起こすため、ビタミンB1の作用を阻害すると言われています。それによって乳酸の産生を促進し、乳酸アシドーシスを発生させる可能性があります。

DNA複製・修復を阻害すると?

DNAの複製と修復を行う酵素も存在していますが、ヒ素はこれらの酵素の働きも阻害します。このため、ヒ素は遺伝毒性、発がん性を発揮していると考えられます。具体的には、DNAのメチル化を通して遺伝子の発現抑制や、ヒ素によって誘導される酸化ストレスが挙げられるようです。
5価のヒ素の毒性は?

構造的にもリン酸と類似しているため、リン酸と置き換わりやすい性質を持っています。これは「ヒ素解離」と呼ばれています。

安定なリン酸基が不安定なヒ酸基に置換されてしまうと、それに関する酵素の働きを阻害してしまいます。解糖系においては、グルコース-6-リン酸がグルコース-6-ヒ酸に置き換わると、その後の反応を担当する「ヘキソキナーゼ」が阻害してしまいます。

日本人のヒ素摂取量

日本人がどの程度ヒ素を摂取しているかははっきりしていないため、健康への影響もはっきりしていません。ヒ素は特に海藻や魚介類に多く含まれていると言われています。また、日本人はコメからの摂取も比較的多いと言われています。

しかし、今のところ、食品由来のヒ素を摂取したことによる健康被害は報告されていません。したがって、一般的な食生活であれば問題は発生しない、と考えられています。

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